MIURA TAMOTSU
人間愛にあふれた企業人、
夢を追う芸術家

三浦保は1928年(昭和3年)に、三浦製作所を営む三浦家に生まれました。徳島工業専門学校(現徳島大学工学部)を卒業後、会社勤めを経て、父と共に精麦機の開発に取り組みました。父の後を継ぎ、1959年(昭和34年)に株式会社三浦製作所(現三浦工業株式会社)を設立。「世界一安くて良いボイラを創ろう」を掲げ、貫流ボイラーの開発に挑戦し、「小型貫流ZP型ボイラー」を生み出しました。その後も、「もの造り」に心血を注ぎ、「最も働きがいのある、最も働きやすい職場にしよう」をモットーに、三浦工業株式会社を上場企業に発展させました。

企業人としての歩みの傍ら、陶芸、能、書、絵画などを嗜み、晩年は、独自技法による陶板画の制作に情熱を注ぎ、芸術家としての活動も展開しました。また、人間愛を信念とし、更生保護事業に携わる、社会福祉施設の支援を行うなどといった地域社会に貢献する活動にも取り組みました。教育振興に役立ちたいとの思いで、1990年(平成2年)には奨学金制度や海外研修制度を設けた「三浦教育振興財団」も創立しました。

HISTORY
西暦 和暦 出来事
1928 昭和03 松山市に生れる。
1948 昭和23 徳島工業専門学校 (現徳島大学工学部) を卒業。 四国機械工業に就職するが辞して、父・ 政次郎が経営する三浦製作所に入社する。
1959 昭和34 株式会社三浦製作所(現三浦工業株式会社)を設立。
1962 昭和37 この頃から観世流の能、謡曲を嗜む。
1963 昭和38 陶芸をはじめる。
1972 昭和47 陶房・窯炉第1号を建設。
1975 昭和50 第24回愛媛県展に陶芸作品を出品 (1995年まで毎回出品)。
1977 昭和52 「やきもの三人展 津川義正 二神 元・三浦 保」 (愛媛県立美術館) を開催。
1978 昭和53 「三浦保五十怨会」(北持田町、愛媛県生活文化センター)を開催。
この頃、 陶芸同好の士によって作陶と酒談・歓談の集い (後に 「泥酔会」と命名) が出来る。
1980 昭和55 陶芸の個展 (愛媛県立美術館分館・萬翠荘) を開催。
1985 昭和60 陶芸の個展 (愛媛県立美術館分館・萬翠荘)を開催。
1987 昭和62 東京、 国立能楽堂で催された藤井久雄傘寿祝賀能で「安宅」 のシテ (主役)を舞う。
1989 昭和64 三浦工業株式会社の社長を退任、 会長に就任。
1990 平成02 陶房・窯炉第2号を建設。 陶板画の制作をはじめる。
1992 平成04 東京アートエキスポ展 (国際展示場) に陶芸作品 (壺他) 陶板画を出品。
1993 平成05 第2回国際コンテンポラリー・アート・フェア (国際展示場) に陶板画を出品。
1994 平成06 第3回国際コンテンポラリー・アート・フェア (国際展示場) に陶板画を出品。
横浜市、 ギャラリー・パリスで個展を開催。ニューヨーク、キャスト・アイロン・ギャラリーで個展を開催。
東京・銀座、 川上画廊で個展を開催。
1995 平成07 第4回国際コンテンポラリー・アート・フェア (国際展示場) に陶板画を出品。
ニューヨーク、HLWギャラリーで個展を開催。 
東京・南青山、始弘画廊で個展を開催。
1996 平成08 ニューヨーク、キャスト・アイロン・ギャラリーで個展を開催。
『三浦保陶板画作品集』を刊行。東京・銀座、 東京三菱銀行・銀座通支店のウィンドウに陶板画を展示。
9月9日永眠。 享年69歳。「追悼 三浦保 創作の世界展」 (松山三越) が開催される。
1997 平成09 開館に情熱を注ぎ込んだミウラートヴィレッジが竣工 (1998年開館)
1999 平成11 「三浦保遺作展」 がミウラート・ヴィレッジで開催される。
2005 平成17 「三浦保展~愛・夢」 がミウラート・ヴィレッジで開催される。
2007 平成19 九月、 三浦工業発祥の地に建った三浦ビルの3階に 「三浦保記念館」が開設される。